法の支配と法治主義

近代立憲主義憲法は、すでに解説しているとおり、個人の権利・自由を守るために国家権力を制限することを目的としています。

この立憲主義思想は、法の支配の原理と密接に関連しています。

今回は、法の支配の原理とそれと類似した概念である法治主義について解説します。

まだまだ抽象的な話が続きますが、憲法を理解する上で、非常に重要な部分ですので、できるだけ理解できるようにして下さいね。



法の支配の原理

法の支配の原理は、専断的な国家権力の支配を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理です。

この法の支配の原理の定義は超重要ですので暗記してしまいましょう。

法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理です。

法の支配の日本国憲法における現れ

法の支配の内容として重要で、日本国憲法に具体的に現れているのは、以下の4つだと考えられています。

  1. 憲法の最高法規性の観念(第10章)→憲法は行政権、司法権のみならず立法権をも拘束する。
  2. 権力によって侵されない個人の人権(第3章)
  3. 法の内容・手続きの公正を要求する適正手続(31条)
  4. 権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重(第6章、81条)

法の支配と法治主義の比較

法の支配の原理に類似するものとして、戦前のドイツの法治主義の観念があります。

法治主義は、法によって権力を制限しようとする点においては、法の支配の原理と共通しますが、以下の2点において両者は根本的に異なっています。

民主的な立法過程との関係

第一に、法の支配は、立憲主義の進展とともに、市民が立法過程に参加することによって、自らの権利・自由を獲得してきたという歴史があります。

市民が武器を持って立ち上がり、絶対王政を解体して、近代社会(市民社会・資本主義社会)を目指して革命を起こしてきたのです。

したがって、国民の権利・自由を制限する法律の内容は、国民自身が決定することを建前とする原理であることが明確であり、その点で、民主主義と結合すると考えられています。

これに対して、戦前のドイツの法治主義の観念は、民主的な政治制度と結びついて構成されたものではなく、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な観念です。

「法」の意味

第二に、法の支配の原理と法治主義では「法」の意味が異なります。

法の支配の原理に言う「法」は内容が合理的で正しいものでなければならないという実質的要件を含み、人権の観念とも結びつきます。

これに対して法治主義に言う「法」は内容とは関係の無い形式的な法律にすぎません。

つまり、法治主義にいう「法」は、法という名前がついてさえいればよく、その内容は問われないということです。

悪法も法であり、国民の権利・自由を制限するような内容の法も許されるのが形式的法治主義です。

法の支配の原理では、憲法は行政権、司法権を拘束するのみならず、立法権をも拘束するのが特徴です。

憲法に適合しないような立法がなされた場合、そのような法は違憲立法審査権(81条)によって無効となります。

戦前のドイツの形式的法治主義では、法は立法権を拘束しないので、立法権の制定した法はどんな内容のものでも有効として扱われました。

実際に、ヒトラー率いるナチスは、正当な法律に基づく民主主義的な選挙によって第1党になっているのです。

もっとも、戦後のドイツでは、ナチズムの苦い経験とその反省に基づいて、法律の内容の正当性を要求し、不当な内容の法律を憲法に照らして、排除するという違憲審査制が採用されました。

その意味で、ドイツは戦前の形式的法治主義から実質的法治主義へと移行しており、現在では法の支配とほぼ同じ意味になっています。

法の支配のまとめ

  1. 戦前のドイツの形式的法治主義は、法律によって行政権と司法権に歯止めをかけようとするもの。
  2. 法の支配の原理は、憲法によって立法権を含むすべての国家権力に歯止めをかけようとするもの。
法の支配 形式的法治主義
共通点 法によって権力を制限しようとする点は共通している。
民主的な立法過程との関係 権利・自由を制限する法律の内容を国民自身が決定することを建前とし、民主主義と結合 国家作用が行われる形式や手続きを示すにすぎず、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な観念
「法」の意味・内容 内容が合理的でなければならないという実質的要件を含み、人権の観念とも結びつく 内容とは関係のない形式的な法律にすぎず、内容の合理性は問題とされない。(悪法も法である)

 



 

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